【日帝史】太平洋戦争の緒戦において日本軍はなぜビルマを攻略したのか?

1 : 2022/03/15(火) 22:01:14.97 ID:utwjWvOt9

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ビルマ中部のエナンジョンで、油田を占拠中の第33師団の兵士。日本が戦争に踏み切った最大の理由は、石油輸入相手のアメリカが、日本向けの石油輸出をストップしたから。そのため油田確保は、至上命令だった。

太平洋戦争の緒戦において日本軍はなぜビルマを攻略したのか?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20220315-00018599-rekishin-life

「牟田口廉也(むたぐちれんや)だけは許せない!」

 普段はとても温厚な祖父だったが、話がビルマ(現ミャンマー)戦線やインパール作戦のことに及ぶと、驚くほど語気を強め、こう語ったことを思い出す。

中略

すでに故人となってしまったが、陽一さんの祖父・正一郎(仮名)さんは、戦時中にビルマ方面に出征していたのだという。

 正一郎さんは昭和16年(1941)12月3日、近衛輜重兵(しちょうへい)連隊補充隊に応召された。同日付で独立自動車第101大隊第3中隊に編入される。

 間もなく日本はアメリカ、イギリスと戦闘状態に入った(オランダに対する宣戦布告は少し後であった)。正一郎さんは12月23日、広島の宇品港を出港。同日、部隊は第15軍隷下(れいか)となった。そして昭和17年(1942)1月13日にバンコクの港に入港する。

 正一郎さんが乗った船がバンコクに到着する前、飯田祥二郎(いいだしょうじろう)中将に率いられた第15軍主力(基幹は第33師団と第55師団)は、開戦後すぐにタイ王国に平和進駐していた。

 この地域での日本軍は、まさに破竹の勢いだった。山下奉文(やましたともゆき)中将が率いる第25軍(基幹は近衛・第5・第18師団)が、アジアにおけるイギリスの牙城であるシンガポールを目指し、マレー半島を南下。各地で戦闘を重ねつつ1000kmの道のりを踏破し、昭和17年1月31日にはマレー半島最南端のジョホール水道に到達する。そして2月15日には、シンガポールも攻略し、マレー半島を支配下に置いた。

 一方、当初の大本営の作戦構想では、ビルマへの侵攻は大きなウエイトを占めていなかった。ビルマ作戦は第15軍が担当することになっていたので、昭和16年12月14日に隷下の第55師団がビルマ最南端のヴィクトリアポイント(現コートーン)を攻略。そして1月20日になると、第15軍主力がタイ・ビルマの国共を越える。1月末には第三の都市モールメン(現モーラミャイン)を占領。2月初旬には第33師団がパアーンを陥落した。

 こうして1月上旬に策定した計画通り、第15軍は順調に南部ビルマへ進撃。その先、首都ラングーンへ進むには、兵力や補給の問題があるので、さすがに時間がかかると思われた。ところがマレー方面の戦況が順調に推移したため、戦力に余裕が生まれた。それにより、上部組織である南方軍の姿勢が積極的なものに変化したのである。

 タイとビルマの国境付近には、標高2000m級の山脈が約100kmにわたり行く手を遮っている。まともな道もない山岳地帯を、日本の設営隊は自動車が通れる道を建設しながら、約1カ月かけて進んだ。正一郎さんはトラックの運転と整備が主な任務であったので、細心の注意を払いつつ、出来たばかりの道にトラックを走らせて北上したと思われる。

 日本軍を迎え撃つビルマのイギリス軍は約3万。そこへ新たに第17師団を編成し、シッタン川の防衛に当たらせていた。加えて約10万の中国軍が援軍として布陣。日本軍は最初に第17師団と遭遇するが、英軍は橋を破壊して後退してしまう。川を渡ると英戦車部隊との交戦に突入。日本軍の戦車や山砲は英軍戦車には歯が立たないため、夜襲と肉弾戦法でこれを退けてしまう。

 そして3月8日にはラングーン市を陥落させてしまい、飯田司令官が入城する。英国のビルマ総督レジナルド・ドーマン=スミスが、すぐに中部の避暑地であるメイミョー(現ピンウールイン)に逃れてしまったのも、ラングーンが簡単に陥落した要因となった。

 一方、日本軍側はマレー作戦が早々に終了したため、シンガポールから第18師団と第56師団が第15軍の戦闘序列に加わった。第18師団は、もともとは中国戦線に派遣されていた精鋭だが、昭和16年11月に第25軍に編入され、マレー作戦に従事していたのである。この師団の師団長は、後にインパール作戦を強行する牟田口廉也中将であった。

 こうして勢力を増した日本軍は、4月17日に中部油田地帯のエナンジョンを占領。5月1日にはマンダレーも陥落させる。そして中国国境に近いミートキーナ(現ミッチーナ)やバーモといった辺境の拠点も抑えたため、ビルマにあった中国の蒋介石に対する補給路「援蒋ルート」の遮断に成功。日本軍は当初の予定を遥かに上回る、華々しい戦果を挙げたのであった。

野田 伊豆守

2 : 2022/03/15(火) 22:01:37.94 ID:9cmsvMQU0
馬鹿だから
3 : 2022/03/15(火) 22:02:57.68 ID:t0e91fzL0
若気の至り
4 : 2022/03/15(火) 22:03:40.98 ID:hp/8MB740
じゃあなぜナチスドイツはポーランドを攻略したんだよ
37 : 2022/03/15(火) 22:27:02.75 ID:Z0O+eeRw0
>>4
ポーランドを攻めても英仏は何もしないだろうと思ったから。(実際しばらく何もしなかった。)
6 : 2022/03/15(火) 22:03:47.97 ID:AEyVJAJO0
肩に王蟲を乗せて竪琴が弾きたかったから
11 : 2022/03/15(火) 22:05:57.09 ID:g0/mrDcv0
>>6
水島~!帰ってこ~い!
7 : 2022/03/15(火) 22:04:11.43 ID:Or8VEyMG0
でも戦前にアメリカ、中国、ソ連、イギリス、フランスと同時に争ってでもほしかった東南アジアやASEANのブロック経済圏
TPPであっさり手に入れたぞ、おまけに反米の中南米までセットなうえ、イギリスの参謀までついてきている
8 : 2022/03/15(火) 22:04:27.38 ID:EjSFkBvv0
プーチンが大統領をしてたんだろ
9 : 2022/03/15(火) 22:05:23.36 ID:R96Jo1q90
そういやなんで南征したの?
12 : 2022/03/15(火) 22:07:25.95 ID:7o63sS7h0
やってやれないことはない
14 : 2022/03/15(火) 22:12:03.55 ID:k/gzBV2w0
凄いよな
橋を作ったり、滑走路を作ったり、山道作ったりとか本当に異常な精神力だと思う
自分かこんな人達の子孫なのかと日々疑う
祖父は樺太にいたみたいだな
15 : 2022/03/15(火) 22:12:36.62 ID:prltziOh0
油田もとったし援蒋ルートも遮断したし
インド国民軍も発足させたし
戦略としてはいいじゃんか
戦術は馬鹿だったみたいだが
16 : 2022/03/15(火) 22:13:28.10 ID:c3bDXoKH0
八紘一宇 知らんの? アジアは欧米の植民地だったのだよ
19 : 2022/03/15(火) 22:16:04.42 ID:JTwd+cAb0
対中国の戦線を畳みきれなかったのと、インド洋を睨む上でのインドシナ半島の要衝があるからだろ?

地図見りゃわかることをわざわざ…

20 : 2022/03/15(火) 22:16:06.41 ID:kXct891r0
いま中国は援プ・ルートを構築しようかどうか迷っている。。
21 : 2022/03/15(火) 22:16:12.49 ID:bY4uurqq0
ビルマといえば ミャンマーの竪琴
22 : 2022/03/15(火) 22:16:55.25 ID:BzjGe0vF0
>>21
みずしまー いっしょに にっぽんへ かえろーー
23 : 2022/03/15(火) 22:18:18.28 ID:isZFMSm10
さっさと部屋の中の盗撮をやめろ創価学会
24 : 2022/03/15(火) 22:18:20.40 ID:Y2jv8pw50
イギリスの植民地を手に入れようとしたんだろ。
イギリスの運命はドイツの猛攻の前に風前の灯。バスに乗り遅れるな
25 : 2022/03/15(火) 22:18:51.81 ID:1FWgwoc80
阿片畑の為
26 : 2022/03/15(火) 22:19:06.38 ID:ZfaYsLFf0
あちこちで有事が起こっているのに刺激したらダメだろ
27 : 2022/03/15(火) 22:20:40.65 ID:KtZqY5EP0
>>1

ビルマやインドでは日本に協力する勢力もいたから
インドが独立すればイギリスの影響をアジアから廃すことができ、中国への支援ルートを絶てる

できた時のメリットが大きいから賭ける価値はあったってことだろ

29 : 2022/03/15(火) 22:21:08.14 ID:2jZBNUJo0
おーい水島 一緒に日本へ帰ろう
42 : 2022/03/15(火) 22:28:44.99 ID:MnxNSvBm0
>>29
お前らが帰るか帰らんかはこっちが決めるんじゃいボケェ!
30 : 2022/03/15(火) 22:21:29.72 ID:E1+ckbmr0
●京都兵 vs グルカ兵○
一個小隊が全滅したと思えないほどの、あっけない戦闘だった。
爆撃に怯えた安(京都53師団)の全員は、壕に隠れたまま出なかった。グルカ兵は手榴弾と自動小銃で攻撃し、壕の上から銃剣をふるって突き刺した。
逃れたのは少尉ひとりだった。戦場では戦わなければ死ぬだけであった。
(文春文庫『全滅』243~244頁)
31 : 2022/03/15(火) 22:23:59.06 ID:032p7S2J0
当時のビルマはイギリスの植民地だったんだっけ?
32 : 2022/03/15(火) 22:24:12.39 ID:ccuZb9eY0
大阪、京都出身の兵士たちで編成されたM兵団(祭)とY兵団(安)の両師団は、北ビルマの戦線で弱兵の見本のようにいわれていた。
所属する部隊名を訊かれて、「Yです」「Mです」といおうものなら、「なあんだYか」「なあんだMか」とその言葉の中に、一種の侮蔑の響きがあった。
(光人社『死守命令』より、著者:田中稔元陸軍中尉、福岡県出身)
33 : 2022/03/15(火) 22:25:10.35 ID:T7Zfm9Qv0
全く知識ないから簡単に教えてほしいんだけど
何で牟田口だけは絶対に許さないの?
44 : 2022/03/15(火) 22:29:33.95 ID:RoDojALm0
>>33
どんな敵軍の将よりも多くの味方を殺したからだよ
一人で長崎の原爆に匹敵するくらいの被害を出している
34 : 2022/03/15(火) 22:26:05.96 ID:WV9GpS8h0
東南アジアに旅行する度に80年前にこんな遠くまでよく来たなって思うわ
35 : 2022/03/15(火) 22:26:18.93 ID:XSkZln3e0
対米英戦というのは、本来は日中戦争の泥沼を打開するためのもの。

中国を援助するルートはビルマ方面からのものが中心だったんだから、
ビルマを制圧せんと目的が達成できん。

36 : 2022/03/15(火) 22:26:59.51 ID:uv3v6VaS0
ブルマの姉御と
38 : 2022/03/15(火) 22:27:03.39 ID:IqRFqbEK0
なんで南に行ったんだろな
アホなんだろな
41 : 2022/03/15(火) 22:28:12.23 ID:R96Jo1q90
>>38
だよね
南征の理由わからん
39 : 2022/03/15(火) 22:27:25.15 ID:OPDjNIRj0
>「牟田口廉也(むたぐちれんや)だけは許せない!」

ビルマだったら花谷正も忘れないでください。

40 : 2022/03/15(火) 22:28:02.01 ID:EknbHGXj0
中将への補給を断とうしたらどんどん戦線が間伸びしていった
43 : 2022/03/15(火) 22:29:21.52 ID:phSwuy/20
ビルマ総督レジナルド・ドーマン=スミスが、すぐに中部の避暑地であるメイミョー(現ピンウールイン)に逃れてしまった

アフガニスタンもだけど
トップが真っ先に逃げ出すとこは弱いな
ウクライナと大違い

45 : 2022/03/15(火) 22:30:27.08 ID:RqiBkfP10
援蒋ルート以外になんかあるの?

コメント

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