「裁判で佐藤は、瑛大(えいた)を轢いたことは認めましたが、いまだに線香の1本もあげに来たこともなければ、謝罪の言葉もありません。一審の判決は出ましたが、控訴審は始まってもいません。これでは、瑛大に何ひとつ報告できません」と、憔悴しきった顔で語るのは、瑛大君の父親だ。
当時8歳だった瑛大君が プレジャーボートに轢き殺され、3年以上経った今でも刑事裁判が続いている。
3年半前の 2020年 9月6日、家族で福島県の猪苗代湖に遊びに来ていた、当時8歳の豊田瑛大君が、福島県いわき市の 元会社役員・佐藤 剛被告(当時 45歳)が操縦する 大型のプレジャーボートに轢かれて死亡した事件だ。
このとき、瑛大君の近くにいた母親も一緒に、佐藤被告のボートに轢かれ、両足の膝から下を切断する大怪我を負っている。
佐藤被告が操船するボートは、2人を救助もせずに そのまま走り去った。事故後も、約1時間にわたって 湖でのクルージングを楽しんでいたという報道もある。
この事故は、物証が残りにくい「水上」ということもあり、犯人を特定し、逮捕するまでに 1年ほどかかっている。
この事件に対する裁判の判決が、昨年 3月24日、福島地方裁判所で言い渡された。
船を操縦していた佐藤被告は刑事訴追され、検察側は「業務上過失致死罪」の罪を問い「禁錮3年6カ月」の実刑を求刑。
福島地方裁判所は、佐藤被告に対し「禁錮2年」の 有罪判決を言い渡した。
佐藤被告は「禁錮2年」の有罪判決が下され、その日に 収監されたが、保釈金を支払い、収監当日に保釈されている。
「実際に収監されたのは、半日にも満たなかった」と 豊田氏は言う。
加害者側は、執行猶予が付かない実刑判決が下されることを予想しており、そうなった場合のために、あらかじめ準備していたのだろう。
一般的に「保釈」とは、第一審で有罪判決を受けた犯人が、判決を不服として控訴し、保釈金を支払い「逃亡の可能性がない」などの理由が認められた場合に、第二審の判決が下されるまで、収監されずに 身柄を解放されること。
「自由の身」ではなく「保釈の身」なのだ。
保釈後の生活には、いくつか条件が付けられる。
例えば、「○×に居住しなければならない」「海外旅行または3日以上の旅行をする場合には、事前に裁判所から許可を受けなければならない」「逃亡や証拠隠滅を図ってはならない」などがある。
保釈後の佐藤被告は、指定された住居で生活しなければならないし、許可を受けずに 2泊3日以上、住居を離れることはできない。あくまでも “一時的に身柄を解放”されているだけであって “無罪”ではないのだ。
それにしても、“轢き逃げによる殺人”が「禁錮2年」で、誹謗中傷 の ガーシー元議員が 「懲役4年の求刑」というのは、「日本の法律は これで良いのか?」と思わないだろうか。
しかし、保釈後の佐藤被告は、連日、高級クラブや高級レストランで派手な生活を送り、自らのSNSに投稿していた。
裁判中、被害者側の担当弁護士から、「この派手に 遊び歩いているのは、アナタですか?」と 質問されて、佐藤被告は それを認めている。
「我が子と 妻を 轢いた犯人が 目の前にいるのに、自分は 裁判を 傍聴することしか出来ません。ようやく 実刑判決が出たと思ったら、その日のうちに 佐藤は“自由の身”になっている。
保釈後も、SNSなどで 自分が高級クラブや高級レストランで食事をしている様子をアップしています」。
こういった投稿を繰り返す 佐藤被告の行いを 目にするたび、息子を殺された 被害者家族は無力感に苛まれていた。
本誌は、被害者である豊田夫妻と 被害者の担当弁護士から 直接話を聞いているが、この事件については、本当に疑問点ばかりである。
父親である豊田氏は、ウェイクボードを引っ張るために 水上バイクで 沖に浮いていた。
その ほんの数十メートルほど離れた場所で、愛する我が子(瑛大君)と 妻が轢かれ、猛スピードで走り去る 佐藤被告のボートを見ていたのだ。
すぐにマリーナに戻った豊田氏は、妻を救急ヘリに乗せ、自分と長男を迎えに来た救急車を待つ間に、駆け付けた警察官に「あのボートが 犯人です」と、自分が目撃したボートを指差して告げた。
陸上の場合、車の轢き逃げを目撃し、「あの車が犯人」と言ったら、そのドライバーが拘束されるのは当然のことだ。
ところが現実は、佐藤被告が「知らない」と言ったことで、事情を聴かれただけで、その日のうちに現場から帰されていたのだ。(抜粋)
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/4a401d48f97ed33c39fe450df979fc72d4173af8&preview=auto
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