- 1 : 2022/11/18(金) 17:11:47.93 ID:lVIKM6MN0
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香川県の金刀比羅宮が所蔵する芸術的にも歴史的にも価値の高い刀などを集めた日本刀展が高松市で開かれています。
日本刀展~こんぴらさんの刀~は12月24日まで開かれています。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/204236?display=1 - 2 : 2022/11/18(金) 17:12:32.15 ID:nvwqYnUj0
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おいてにほかけてしゅらしゅしゅしゅー
- 3 : 2022/11/18(金) 17:13:21.82 ID:j5wg6PMm0
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うどん伸ばす棒とか無いんかよ
- 4 : 2022/11/18(金) 17:14:02.63 ID:Ke9f1wD/0
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僕の股間に付いてる名刀に招集が来なかったのは七不思議
- 5 : 2022/11/18(金) 17:15:12.64 ID:lVIKM6MN0
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coi********さん
2018/11/10 8:57
鍛冶屋です、折り返し鍛錬の回数を増やしらちみつな肌になります 研磨時に肌が出にくい様酸化クロムでこすると
ピカピカになります 無鍛えと同じ外観ですね 地景は無いですが沸 匂いは出ます
ちなみに完全に鏡肌はなく鏡に近いが正解で無鍛えでも緻密な肌はあります - 6 : 2022/11/18(金) 17:15:25.31 ID:2w8KQYjl0
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金比羅船々中古の下着で修羅の群
- 7 : 2022/11/18(金) 17:17:48.29 ID:BovqGMmt0
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七支刀がある所か
- 8 : 2022/11/18(金) 17:18:26.54 ID:lVIKM6MN0
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日本刀の地金の最高峰は梨子地肌であり、梨子地肌は古刀にしか存在しない。
私の知る限り南北朝期の刀まで。
それでいて梨子地肌を打った刀工は数える程度しか存在しないのだ。
それほどまでに難しく、相当な鍛錬技術を必要とした事は容易に想像できるだろう。
- 9 : 2022/11/18(金) 17:19:01.91 ID:4AXDVdNa0
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階段がすげえと聞いてたけど全然だったわ
普通に走って本殿まで行ける - 10 : 2022/11/18(金) 17:19:39.76 ID:lVIKM6MN0
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室町以降、地金の詰みは劣化する一方で村正、之定、忠吉の様な例外を除けば
時代が下ると共に地金の質は悪くなっていく。
理由は簡単。
良質な鉄は全て取りつくされてしまったから。
優れた鍛錬技術があるのに質の落ちた鉄ではその技術が十分に発揮できなかった。
その時の鉄質に合わせた製法で刀を打つしかなく、本当の製法は日の目を見ることなくそのまま技術は衰退。
真の伝統製法は受け継がれないまま時代は下っていったというわけだ。
- 11 : 2022/11/18(金) 17:20:17.30 ID:lVIKM6MN0
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倉、南北朝、室町の刀を並べてみると鉄の色が違う事に気付く。
それは鉄質が違うからなのだ。
- 12 : 2022/11/18(金) 17:24:26.87 ID:lVIKM6MN0
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そして、まったく折り返し鍛錬を行っていない刀は現代刀にも存在するのだ・・・
これ、本当は日本刀って言えない代物なんだけど
とある流派の先生が刀鍛冶ではなく鉄工屋さんに頼むんです。
一本10万円くらいで日本刀の形に鉄を加工してもらうんです。
で、コイツをグラインダーで適当に刃付けるんです。
そしてそれを弟子に30万とかで売りつけるんです。
昇段記念だ。そろそろ真剣を使いなさいと言って。
酷い話です。武道家の風上にも置けません。
- 13 : 2022/11/18(金) 17:25:51.38 ID:lVIKM6MN0
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一見すると何も無い様に見えるが、よく目を凝らしてもやっぱり地金がまったく確認できないステンレス肌。
そして、蛍光管の光を当てると丁子油が反射して七色に輝くのだ。
- 14 : 2022/11/18(金) 17:27:02.03 ID:lVIKM6MN0
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無地肌=変化の無い鏡の如き肌,過度の折り返し鍛錬による。新〃刀の特徴。
- 15 : 2022/11/18(金) 17:27:17.68 ID:lVIKM6MN0
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どっちが正しいんだ。
- 16 : 2022/11/18(金) 17:29:16.19 ID:zpJjeJaT0
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モノ欲し竿
- 17 : 2022/11/18(金) 17:31:07.27 ID:hJHWkCTM0
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こんぴらふねふねちんしゅしゅしゅ
- 18 : 2022/11/18(金) 17:32:35.55 ID:lVIKM6MN0
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松田 例えば、『景光』という古い刀を、5倍から10倍のルーペで拡大して見ます。
すると、その刀の持っている肌模様がやや荒く見えてきます。そのとき、刀じたいにはちょっとした傷というか、
鍛接面のくっついていない部分が見えるのです。研ぎ上がると、それが非常に美しい地肌になってきます。 - 19 : 2022/11/18(金) 17:33:26.98 ID:lVIKM6MN0
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新刀から現代刀にかけて、傷はほとんどありませんが、鎌倉時代のものには結構あります。
一般に傷は良くないもの、傷のないものが良い刀だといわれていましたが、実は古刀にも傷はあるのです。 - 20 : 2022/11/18(金) 17:34:29.03 ID:lVIKM6MN0
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二つの傷の大きさを比べてみて、どこで合わせられるのかを考えていくと、
どうも下鍛えか上鍛えの間のちょっとしたことで地肌が出るのです。傷は、もともと玉鋼の状態からあり、もっと大きな傷としてボツンボツンとあるのです。
それを満遍なく散らしていくことで、傷の大きさが調整されていくのです。 - 21 : 2022/11/18(金) 17:34:30.39 ID:+sHJBHDO0
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金比羅山ってイメージキャラがすごいんだよな
寺の偉い人の子供が書いた絵らしいんだが
「普通の子供が書いた絵を忖度して採用しました」感が強くて思わずグッズを買ってしまった - 22 : 2022/11/18(金) 17:37:33.06 ID:lVIKM6MN0
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松田
昔は、弟子が向槌を叩きました。私などは、コバを出されて叩くと、細いので狙うのが大変で、
外したりしたものです。本当はそのまま叩いていく方が、叩く側も楽だし、仕事も速くなります。
妙に仕事をきれいにしようという思いで横に伸ばしていくと、時間も長くかかるし、脱炭も進みます。だから、叩きっぱなしにする必要があります。ただ、そうすると横に広がってしまいます。
だから縦に切らなければなりません。それで、縦に切ると、今度は細長くなるから横に切る。
それは昔から「十文字鍛え」と呼ばれてきたやり方です。向槌を叩くのは、そういった意味があったと私は確信しています。コバを叩くと、鍛錬の時間が長くなりすぎてしまうのです。
- 23 : 2022/11/18(金) 17:39:07.32 ID:lVIKM6MN0
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向鎚
機械ハンマーの無い時代、先手が使った向槌。
野鍛冶さんだと奥様が勤められることも多かったようですね。 - 24 : 2022/11/18(金) 17:44:01.06 ID:KtJ67TBe0
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金毘羅山行ったことあるけどあんなとこにも菅原道真の神社あるのな
どんなけ日本怨んどふねん - 25 : 2022/11/18(金) 17:51:10.18 ID:M4Wzy4mW0
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しゅらしゅしゅしゅ
金比羅山行くと
これとうどんしか記憶に残らない - 26 : 2022/11/18(金) 17:53:46.16 ID:lVIKM6MN0
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日本古来の和ヤスリ(和ヤスリ)と現代のヤスリ(機械ヤスリ)の違い 明治末期から手製の和ヤスリが使われなくなり、
現在に至るまで機械製のヤスリによって中心仕立てが行なわれております。
これが所謂、機械ヤスリであり、以前の手製の和ヤスリは現在ではまず見ることはできません。
機械ヤスリと和ヤスリの大きな違いは、機械ヤスリ目には刀工による違いがほとんどないことです。 - 27 : 2022/11/18(金) 17:54:40.09 ID:lVIKM6MN0
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その結果同じものを入手することも容易であり、偽造防止も困難です。その為、
昭和初期の関の刀などでは、刻印を使うことで追加的に製作元を明らかにしておりました。 - 28 : 2022/11/18(金) 17:57:37.38 ID:lVIKM6MN0
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さて、室町時代以降はすべて数多くの実作があると言っていいのですが、南北朝時代以前は五ヶ伝本国でも
極少数の実作しかない人が沢山います。それは山城国では来一門以外のすべての刀工、大和国ではほとんどが無銘で、
相模国ではすべての刀工が、また美濃国も相模国同様です。極論すれば備前国以外は作刀が相当に少なかった、
または使われて残らなかったと言えます。さらに天国、光世、宗近、長円、等にいたってはほとんど存在が神話じみています。 - 29 : 2022/11/18(金) 18:05:54.28 ID:lVIKM6MN0
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南北朝期、足利尊氏に仕えたと伝えられる本阿彌妙本を祖とする本阿彌家が主に時の権力者の刀剣研磨、
鑑定を司り、九代本阿彌光徳の時代に差し込み砥ぎ研磨法、刀剣鑑定法を確立した。 - 30 : 2022/11/18(金) 18:10:21.46 ID:lVIKM6MN0
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本阿弥成重(ほんあみなりしげ)
本阿弥分家の光意系15代当主
平十郎本名は江口倉次郎。
養子として本阿弥成応の後を継ぐ。
通称は平十郎。砥ぎの名手として知られ、金肌拭い法を発案した近代研磨の創始者。
本阿弥宗家の没落に伴い折紙台帳を手に入れている。明治15年(1882年)7月16日没
- 31 : 2022/11/18(金) 18:11:56.78 ID:lVIKM6MN0
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本阿弥日州(にっしゅう)
1908年(明治31年)、研磨・鑑定を業とする平井千葉の長男として生まれる。
平井千葉は明治から大正まで活躍し名人と謳われた。本名は猛夫。
15歳で本阿弥琳雅に師事。
19歳で養子となり、光意系本阿弥家17代を継ぐ。 - 32 : 2022/11/18(金) 18:14:23.72 ID:lVIKM6MN0
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本阿彌琳雅に子がなかったので、先生(杉山茂丸)と同じく国士内田良平先生とが仲人となって、
その高弟平井千葉の長男猛夫を養嗣子として本阿弥家に入れ、千葉と猛夫の両人に研磨の秘伝を伝授させたことも、
先生なくしてはのことであった。
この伝授の席には先生が立ち会われたそうであるが、秘伝といっても「誰にでもできる簡単なことで、
ただ誰も気がつかないまでのことだ」とおっしゃったそうである。 - 33 : 2022/11/18(金) 18:17:56.83 ID:lVIKM6MN0
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杉山茂丸
龍造寺隆信の長子、龍造寺龍丸が家臣に伴われ黒田長政の元で庇護され、
播州の儒者杉山如庵の娘を娶ることとなった。この時長政手づから延寿国時の刀を下賜し、
杉山三郎左衛門誠隆と名乗ったという。この経緯については「百魔」にて詳細に語られている。長男は作家の夢野久作(杉山直樹)
元治元年(1864年)に福岡藩士・杉山三郎平の長男として生まれる。
- 34 : 2022/11/18(金) 18:21:02.12 ID:lVIKM6MN0
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明治13年(1880年)16歳の時に家督を相続し、諸国巡査の旅立っている。この時の様子が長男夢野久作の文章に出てくる。
父は十六の年に、お祖父様を説伏せて家督を相続した。その時は父は次のような事をお祖父様に説いたという。
「日本の開国は明らかに立遅れであります。東洋の君子国とか、日本武士道とかいう鎖国時代のネンネコ歌を歌って
いい心持になっていたら日本は勿論、支那、朝鮮は今後百年を出でずして白人の奴隷と化し去るでしょう。
白人の武器とする科学文明、白人の外交信条とする無良心の功利道徳が作る惨烈なる生存競争、
血も涙も無い優勝劣敗掴み取りのタダ中に現在の日本が飛込むのは孩子が猛獣の檻の中に
ヨチヨチと歩み入るようなものであります。この日本を救い、この東洋を白禍の惨毒から救い出すためには、
渺たる杉山家の一軒ぐらい潰すのは当然の代償と覚悟しなければなりませぬ。私は天下のためにこの家を潰すつもりですから、
御両親もそのおつもりで、この家が潰れるのを楽しみに、花鳥風月を友として、生きられる限り御機嫌よく生きてお出でなさい」 - 35 : 2022/11/18(金) 18:22:08.32 ID:lVIKM6MN0
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東京へ出ると、山岡鉄舟の門人となりさらに後藤象二郎や大井憲太郎などと知遇を得た。
滞京一年半で帰郷するが、明治17年(1884年)には熊本の佐々友房から旅費を借りて上京し、
伊藤博文を「悪政の根源、脱亜入欧、藩閥の巨魁」と目してその暗殺を企て、
山岡鉄舟の紹介状を持って面会に成功するが、お互い国家のために身を大事にと逆に説伏されて断念する。 - 36 : 2022/11/18(金) 18:22:33.92 ID:s1jN22DM0
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キタムラさん
東京国立博物館一緒に行きませんか - 37 : 2022/11/18(金) 18:23:58.89 ID:s1jN22DM0
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ワイ高田馬場住みなんですよ
在銘の綾小路見に行きましょうや - 38 : 2022/11/18(金) 18:24:00.58 ID:phptloVd0
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俺の野太刀も展示したい
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