【古代史ミステリー】なぜ、天皇の祖先は「まつろわぬ民」の居住地だった南九州に上陸したのか?

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1 : 2024/05/30(木) 23:55:47.15 ID:CV4gwqKu9

(藤井勝彦)

(省略)

 時は元正天皇の御世、養老4(720)年のことである。大隅国の国司・陽侯史麻呂(やこのまろ)が、何者かに殺害されるという事件が起きた。この数年来、南九州でくすぶり続けてきたヤマト王権に対する反感が爆発したものであった。律令制の根幹となる班田収授法、それを、いまだ完全に服属したわけでもない南九州の地に無理やり適応させ、強引に税の徴収を開始しようとしたからなのかもしれない。6年前の和銅7(714)年には豊前に居住していた民(秦一族か)5千人を大隅国に移住させて同化政策を進めるなど、まつろわぬ民に対する有形無形の締め付けが厳しくなってきたことが下地になったとみられる。

 事件からわずか数日後の3月4日には、早くも大伴旅人(おおとものたびと)が征隼人特節大将軍に任じられ、1万人以上もの大軍を率いて征伐が開始された。このことからみても、王権側も相当重大な局面であると認識していたのだろう。対して、隼人側の兵力は数千人。この圧倒的に不利な条件をものともせず、曽於乃石城(そおのいわき)や比売之城(ひめのき)など7つの城に立て籠もって持久戦を展開。攻略に1年半近く要すという熱戦が繰り広げられたのである。隼人の戦闘能力の高さが推察できそうだ。

 それでも、養老5(721)年7月7日、結局は隼人側が、戦死者、捕虜合わせて1400人という甚大な被害を被って敗退。ここで紹介する弥五郎どんとは、つまる所、この隼人軍を率いた首領あるいはその象徴だったのではないかと考えられているのだ。無理やり支配下に置かれようとした民の心情を鑑みれば、その代表者の表情が険しかったのも当然というべきか。さらに、巨人として思い描かれたのも、中央政権に対する怒りの大きさを物語っているように思えてくる。

■なぜ天孫降臨の地が隼人の居住地だったのか?

 ところで、隼人の居住地であった南九州といえば、『記紀』の記述によれば、王権の祖・天孫族が降臨したとみなされるところ(諸説あり)のはず。天孫・瓊瓊杵尊が降臨したとされる高千穂峰をはじめ、その陵墓・可愛山陵(えのみささぎ)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の陵墓・高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)、神武天皇の父の陵墓・吾平山上陵(あいらさんりょう)、神武天皇の生誕地とされる皇子原(おうじばる)神社等々、枚挙にいとまがないほど伝承地が存在する。

 同時に、同地域は王権に「まつろわぬ」とみなされた熊襲(隼人との関係は諸説あって複雑)の居住地でもあった。ということは、王権にとって、そこは決して安住できるところではなかったはず。それなのになぜ、その不穏な地を王権の原郷だったとみなしたのか? これこそ、古代史最大級の謎の一つである。

 その謎解明に大きな役割を果たすと考えられるのが、この隼人の存在なのである。隼人とは、ズバリ、中国江南あるいはそれ以南から、直接黒潮に流されてやってきた人々だったのではないか? 東部の大隅隼人が江南以南から縄文時代に渡来してきた狩猟民族で、西部の阿多(田)隼人が弥生早期に江南から渡来してきた海人族(海幸彦との関連が気になる)だったのではないかと、筆者は密かに推察している。

 これに対して王権の祖とされる人々は、縄文末期に中国江南地方から稲を携え、朝鮮半島を経由して、北九州ばかりか南九州へも渡来してきた人々だった考えられる(野間半島の宮ノ山遺跡のように、朝鮮半島でよく見られる積石塚や支石墓などがその痕跡か)。このうち南九州へ上陸した人々(瓊瓊杵尊に象徴される人々か)が、先住の大隅隼人と一時期は共存。協調関係を保っていたと考えたい。

 その表われが、瓊瓊杵尊と山神の娘・木花開耶姫との婚姻である。もう一方の阿多隼人との関係が、瓊瓊杵尊の子・彦火火出見尊(海幸彦)が海神の娘・豊玉姫との婚姻譚に言い表されているのかもしれない。しかし、豊玉姫との婚姻関係が破綻したことでもわかるように、両勢力は結局、対立。そこから脱出した人々が、安住の地を求めて大和へ東征あるいは東遷したのではないか? その記憶が、神武天皇の東征物語に反映されているという気がしてならないのだ。

 加えて、この隼人の居住地に打ち立てられたのが狗奴国(くぬのくに)だった可能性もある。そこから脱出した人たちが、甘木から宇佐へ拠点を移していた邪馬台国(澤田洋太郎氏説を踏襲)の残存勢力(邪馬台国は、狗奴国との戦いに破れたか、卑弥呼の死によって妥結が図られたとも考えられる)を伴って、大和へと向かったのではないか? 諸説を踏まえて考察し直してみれば、こんな推察ができるのではないかと、思えてくるのである。

5/27(月) 16:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/21ac4aa0c3502f0408ce4cbc0ac9f18a7e27e84b

2 : 2024/05/30(木) 23:58:35.29 ID:LXBsZegg0
ヤクザってふらっと来て根付くもんだ
会津虎徹会もそんな感じでできた
3 : 2024/05/31(金) 00:01:28.18 ID:tbb4SkPc0
天皇中心の神の国
4 : 2024/05/31(金) 00:02:04.44 ID:zlPB5+JH0
卑弥呼スムニダ
5 : 2024/05/31(金) 00:03:44.83 ID:ZEu0vcFc0
イザナギイザナミ兄妹が近親相姦して行った国産み

なぜそのまま支配下に置かずに天孫降臨まで放置してたの?

7 : 2024/05/31(金) 00:04:19.64 ID:5mdYc3Lj0
天皇のご先祖様が矛で海をかき回すまで、日本列島はなかったんだよ
8 : 2024/05/31(金) 00:04:49.70 ID:wybpQxpX0
>>1
はい?
上陸前から帰順する民がいるって、そんな都合の良い土地あるかいw
9 : 2024/05/31(金) 00:09:37.07 ID:dx4Rj6PB0
>>1
何をアホなこと言ってるんだこいつは
南九州は遺伝的にも顔つき的にも明らかに縄文系であって中国系ではないだろ
10 : 2024/05/31(金) 00:11:09.10 ID:cK33MF1C0
この説では南九州の縄文系の残党が近畿に進出して大和朝廷を立てたことになってしまう

大和への東征は逃避行でなく征伐の道程だろう

11 : 2024/05/31(金) 00:12:09.83 ID:dx4Rj6PB0
縄文人は氷河期の終わりの温暖化にともなって
東南アジアのスンダが水没する時に北上した海洋民がルーツ
12 : 2024/05/31(金) 00:13:09.92 ID:NRGsRLSt0
科学的根拠皆無で草
13 : 2024/05/31(金) 00:13:23.31 ID:oiz6PoK90
稲作は朝鮮半島は経由してない

やり直し

14 : 2024/05/31(金) 00:15:03.48 ID:cK33MF1C0
>隼人が弥生早期に江南から渡来してきた海人族(海幸彦との関連が気になる)だったのではないかと、

これは正しいだろ
というか隼人と熊襲は一緒ちゃうの?

15 : 2024/05/31(金) 00:17:02.18 ID:n4oJMnyE0
竹田恒泰が「邪馬台国は、ヤマト王権とは関係ありません」て言ってた
更に畿内説なら何か記録があるはずで、九州遠征で消滅した国なんじゃないか?とか言ってたぞ
16 : 2024/05/31(金) 00:17:32.08 ID:CnBWZCda0
征隼人特節大将軍てなんだよ
持節だろ
17 : 2024/05/31(金) 00:17:53.34 ID:4a/16JtX0
大和朝廷に降伏したのが隼人で、しなかったのが熊襲
18 : 2024/05/31(金) 00:20:28.77 ID:d9a1xDtu0
>>1
>なぜ、天皇の祖先は「まつろわぬ民」の居住地だった南九州に上陸したのか?

日本では伝統的に偽書の古事記に「高千穂(の峰)」云々あるんだっけ。
それがごく近世の儒教徳川期(=似非神道/国学)水戸学以降で、勝手に(南)九州に比定されただけでしょ。
そもそも九州の高千穂(宮崎/霧島)の地名自体が、古事記の解釈後に付けられた(改名された)んでしょ

22 : 2024/05/31(金) 00:26:51.53 ID:d9a1xDtu0
>>18 続き
で、「まつろわぬ民」ってのも単に、当時の中央のヤマトの国の施政に従っていなかった(文明化範囲が
及んでいなかった)ってだけで、民族的人種的には同じ日本人ってだけでしょ
19 : 2024/05/31(金) 00:22:10.22 ID:ZRfdThDp0
こんなアホな作文で金がとれるんだから羨ましい商売だな
5ちゃんのアホレスと同レベル
歴史紀行家、写真家とか言う人間がしたり顔でトンチンカンな事を金貰って発信してるんだから凄いな
20 : 2024/05/31(金) 00:23:05.89 ID:ZH/fZouK0
>>1
この辺の話は永遠に答えが出ない域のお話だし気にしてもしゃーないというか
21 : 2024/05/31(金) 00:24:49.60 ID:cK33MF1C0
まだ宗像教授の漫画を読んでる途中だが、

「アマテラス」は「海人照らす」で、海人族の神が原型だった、という説はしびれた

23 : 2024/05/31(金) 00:28:44.71 ID:4a/16JtX0
東京人から見た九州人ぽい風貌ってあるわな。
西郷隆盛とかキレンジャーとか田口浩正とか
24 : 2024/05/31(金) 00:29:24.14 ID:1uXHki0D0
やはり縄文系だったからじゃないか
ミカドは
25 : 2024/05/31(金) 00:29:30.77 ID:cK33MF1C0
そういえば宗像教授の見た回では、

神武の東征を九州で飢饉に見舞われた民族移動説を挙げていた

27 : 2024/05/31(金) 00:30:49.93 ID:hYsL8eRr0
>>1
トンデモ説だな。
読んで時間のムダした。
山幸彦も海幸彦を混同しているし。
彦火火出見尊は山幸彦。
28 : 2024/05/31(金) 00:31:43.35 ID:ipyZZwZV0
まあいいじゃん、そんなの、
29 : 2024/05/31(金) 00:33:57.57 ID:Oxs4XaM90
飛鳥奈良時代の記紀を作ったホラ吹きはなぜ九州からの東征説を取ったんだろうな。
31 : 2024/05/31(金) 00:35:57.44 ID:ipyZZwZV0
>縄文末期に中国江南地方から稲を携え、朝鮮半島を経由して、北九州ばかりか南九州へも渡来してきた人々だった考えられる

江南から海路で渡来したとすると、直線距離で日本の方が近いのに、あえて朝鮮半島を経由して稲もって日本にくるのはおかしい

32 : 2024/05/31(金) 00:40:00.95 ID:CnBWZCda0
歴史紀行作家かよ
33 : 2024/05/31(金) 00:42:21.14 ID:LAB51q+F0
大陸から黒潮で流れてきた程度の航海技術で
海洋民族の隼人と同じ扱いはねーな
34 : 2024/05/31(金) 00:44:32.75 ID:ZEu0vcFc0
神武東征とか今のイスラエルのガザ進攻と何も変わらんよな

コメント

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